お疲れ様でした。

金閣寺、無事、千秋楽を終えました。
キャストの皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。


自分が千秋楽に大阪にいたこと
金閣寺が無事に幕を閉じたこと

奇跡に思います。

私が住む岡山も、千秋楽が行われた大阪も、いつもと変わらぬ日常でした。


いつもと変わらぬ日常…
それを当たり前と思わず、精一杯「生きよう」と思いました。


千秋楽、精一杯の想いを込めて、観劇しました。


千秋楽、
私は2階席。前日の神席とは違い、表情は見えません。
表情は前日堪能できたので、双眼鏡は使わず、全体を、この舞台全体を、肌で感じながら観劇することにしました。


最初は、観劇しながら、もう最後か…なんてしみじみ思っていたけれども、いつの間にか作品に引き込まれ、千秋楽であることを忘れていました。


色々な人の気持ちが伝ってきました。


溝口にとって一筋の光だった鶴川。あんなにキラキラ輝いているのに、未来に対して、希望も不安もない鶴川。あの笑顔の裏に隠されている苦悩、溝口には見せたくなかったから、あんな風に一生懸命笑顔でいたのかな。時折見せるとまどいの表情が印象的だったな。溝口をおいて逝ってしまった鶴川の手紙を抱きしめて、溝口の体全体から溢れてくる悲しみを感じて、溝口にとって鶴川がどれだけ大切な存在だったか、痛いくらい伝わってきた。二人で過ごした青春の一ページは本当にキラキラ輝いていたんだね。



溝口を悪い道に引き込んでいるかのように見えた柏木。しかし、それは、不器用に生きている溝口に対して、認識を変えるだけで、世界は変貌するという器用な生き方を、彼なりに必死に伝えているかのように思えた。最後あたり、柏木は、溝口に対して「友達」という言葉を使う。鶴川のように寄り添うのではなく、真っ向から体当たりで溝口に向かってきてくれた柏木。彼は溝口にとって大切な「友達」だと思った。


お母さんや副司さん(漢字間違ってる?)、口うるさく感じるけど、ちゃんと溝口を叱ってくれている。老師さまだけを求めてるんじゃなくて、まわりを見てよぅ溝口…。ちゃんと叱ってくれる人たちいるよ?ちゃんと気にかけてくれているんだよ?溝口の視線はいつも真っすぐだから、なかなかまわりが見えないんだよね。もどかしいなぁ。
でも、お母さんに最後に「気ぃつけて帰るんやで」と言った溝口。その言い方がすごく優しくて。。裏切り者だと母親を憎みながらも、それでもやっぱり自分を生んでくれた母親だから、大切に思い気遣う溝口の優しさが、好きだ。


老師さま。何故叱ってくれないの?溝口と真っすぐ向き合って下さい。溝口は、あなたから叱られたくて、叱られたくて、、、あなたに父性を求めているんです。でもなぁ、きっと老師さまは老師さまなりにお考えがあって、老師さまは溝口のことを無視している訳ではないんだよなぁ。「そうまでして見捨てられたくないと思うか。。。知っていてどうする。。。なんにもないことや」老師さまの叫び。老師さまは父親代わりになろうと、溝口のことを想っていたんだと思うよ。ゆくゆくは後継ぎにしようと考えていたくらいなんだもん。きっと、溝口本人の力で乗り越えてほしかったんだと思うよ。無言は拷問なんかじゃない、無言の愛情だったんだ。



お父さん。金閣に導いてくれたお父さん。早くに亡くなられて、思春期の溝口を叱ることもできなかった。でも、最後に現れた和尚さまはお父さんの分身だと思った。親子のように向き合い、すがる溝口に対して、溝口を包み込む父性を感じた。他人が思う自分も、自分が思う自分も、どちらも長続きしない…あのお言葉が私は大好きです。




溝口。。。
一生懸命生きていた。
色々な人と出会って、うらやましいと思ったり、あこがれたり。
でもどうしても、うまく生きられなくて、自分を導いてくれる存在がほしかったんだね。
遠ざかろうとしても、逃れることもできないんだね。
溝口はもがいて、もがいて、、、生きていくことは苦しいことだと思った。
溝口の一生懸命に生きている姿に、涙が出て、涙が出て、、涙で、溝口が見えなくなった。
最初にKAAATで観劇したときは、溝口の苦しみがただただ重かった…でも観劇を重ねるごとに、溝口が一生懸命生きている姿を美しく思った。
認識ではなく行為の重要性を訴える溝口の目からあふれ出ようとする涙…この涙って最初からだった??もし、亜門さんが指示していないなら、役者としては流してはいけない涙なのかもしれない。
でも、それは森田剛としてではなく溝口から溢れ出たものであり、溝口が心から叫んでいる姿に深く感動した。


苦しみながらも、最後につぶやく「生きよう」


にやっと笑う溝口。
12日も千秋楽も声を出して笑った。
内界と外界の扉を開け、解放されたことへの喜びだろうか。
あの笑いの意味は溝口にしかわからない。
ぞくぞくした。


生きていくことは
苦しいこと。
その苦しみを誰よりもわかっているのは溝口。


それでも生きようと思った溝口。




私も
生きよう と思った。




ニュースを見るたび


生きている人は生きなきゃダメだと思った。



生を全うすることがその人に与えられた使命。




生きよう


生きよう


生きよう



3人それぞれの「生きよう」が大好きだ。
なんて素敵な言葉なんだろう。


素晴らしい作品に出会えて幸せです。



生きる素晴らしさを教えていただき、ありがとうございました。


金閣寺が終わって、寂しい気持ちもあるけれども、
こんなにも深く味わえる作品に出会えた喜びが大きいです。




カーテンコール、3人で握手しあったり、肩たたき合ったり、キャッキャしている姿が、すごく愛おしかった。
舞台を通してかけがえのない友を手に入れたね、ごうくん。
この3人でよかったね。
出会えてよかったね。





最後に、また会いましょう と言ったごうくん。
荒神のときもソロコンのときも叶わなかったから、ごうくんのその言葉は信じてないけど(笑)、
でもやっぱりもう一度会えたらいいな(*^_^*)




凱旋公演待ってますよー☆




ニューヨークでも、しっかり苦しんで、しっかり生きて下さい!!!



まだまだ進化するであろう金閣寺、、、世界の人々がどのような感想を持たれるか今から楽しみです!