金閣寺福岡公演2日目

明日は久々の金閣寺観劇。

KAATで観劇してから早1ヶ月。
その間、金閣寺を読み直した。観劇する前に読んだときは、何度も投げだしそうになった。でも観劇後は違った。舞台でのシーンと重なりあって読みやすくなった。舞台と同じ台詞があると嬉しくなったり。しかし案外、原作と舞台とでそのまんまな台詞は少ない。金閣寺の原作は、舞台で溝口が放つ言葉とは若干違うんだけど、原作の溝口の言葉も、ごうくんの声で響いてきて、私の心にするりと入ってきて、すとんと落ち着く。その感覚が面白くて、楽しく読むことができた。


私は、原作の、柏木が大切にしていた尺八を溝口にくれて、溝口がそれを一生懸命練習するシーンが好きだ。そこには、溝口と柏木の温かい繋がりを感じる。溝口の光になっていたのは、鶴川だけでなく柏木も。
そのシーン、舞台で見たかったなぁと思ったり。。




自分なりにり、コンプレックスについても考えてみた。
コンプレックスは、他者と自分を比較することから生まれる。
視線が自分にだけ向いていたら生まれてこないだろう。
コンプレックスがあるということは、内界だけでなく、他者が存在する外界に視線が向けられているということ。内界と外界のつながりを持とうとしていること。

またコンプレックスを抱えている場合、それを改善したいと願っていることが多い。
自分というものをもっと高めたいという思いがそこにあるんだと思う。

強いコンプレックスを抱えている人は、外界を鋭く観察し、内界の自分と比較し、自分の足りない部分に気付き、それを改善し、足りない部分を補いたいという、強い向上心がある人なんだと思う。


ごうくんが言う通り、
コンプレックスをもっている人は強いんだと、私も思う。
その人にとっては苦しいかもしれないが、それはその人にとって内に秘めたエネルギーだ。


そのエネルギーが溜まりに溜まって、解放しなければいけないときがくる。


それが溝口にとっては、金閣を支配すること。火をつけることだった。



溝口の行動を善悪で判断すると悪かもしれない。
だけど、それに至るまでの行為は、私にも理解できる。


溝口だけでなく、鶴川や柏木にも、心の闇がある。
鶴川は、心の闇から逃れることを選んだ。
柏木は、心の闇を利用することを選んだ。
そして、溝口は、心の闇に挑むことを選んだ。挑み、そして、最後に「生きよう」とつぶやく。
最後の「生きよう」
鶴川や柏木の「生きよう」はなんだか優しくもあり温かさも感じた。
溝口の「生きよう」は、、、どう表現したらいいかよくわからない。金閣を支配して、やっと解放されたのだから、未来に対する希望を感じられてもおかしくない。でも、私は希望を感じなかった。でもでも、絶望を感じた訳でもなく。


そういえば、溝口は死ぬつもりだったんだ。ナイフとカルニチンをポッケに入れてたんだ。
死のうとしていた人間が「生きよう」とつぶやく。

溝口の「生きる」とはどういうことなんだろう…



明日、観劇したとき、私は溝口の「生きよう」に何を感じるだろう。

明日の観劇が楽しみです。







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チケット
●ゾロ名古屋千秋楽4枚(A席12500円)→バラでのお譲りも可
金閣寺大阪千秋楽1枚(B席5500円 )
余ってます。多少の値引きも考えております。
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